邪悪について、平気で嘘をつくということが悪の根源であり発現である
Liveを反対から書くとevilとなる。 一人のナルシシズムから街と生活が破壊され、普通の人々が虐殺され命を奪われている今の現実にどう向き合えばいいか。人間の悪について考えざるを得ない。 『 平気でうそをつく人たち:虚偽と邪悪の心理学 』を読むに 邪悪性とは、ナルシストが自分中心に創作するストーリーの為に平気で嘘をつき、平気で他人を犠牲にすること であろう。 まさにその通りで、よくもそこまで嘘で塗り固めた主張を平気でできるものだと関心するとともに、考えることに怠惰な集団の恐ろしさを感じる。自分のストーリーに整合しないことは事実でもフェイクと呼び、平気で嘘をつくことは邪悪性そのものということだ。 邪悪な人の特徴は、他人に罪を押し付けること、自分の悪を世の中に投影すること。他人をスケープゴートにすることだと言う、まさにその通りだ。 この本では、人間の邪悪性は病気なのか?精神病理学的病気なのか?そしてそれは治療可能なのかを問おうとしている。 邪悪性とは自己愛的精神分裂の一形態で新しいタイプの人格障害で以下の特徴を有すると言う。 自己の責任の放棄 定常的な破壊的責任転嫁的行動、多くの場合きわめて隠微な形をとる 批判その他の形で加えられる自己愛の損傷に対して過剰な拒否反応を示す 立派な体面や自己像に強い関心を抱く、これはライフスタイルの安定に貢献している一方で憎しみの感情・執念深い往復的動機を隠す見せかけにも貢献している 知的な偏屈性、ストレスを受けた時の軽度な統合失調症的思考の混乱を伴う 本書にある精神療法のケースから、オクスフォード大学の学部時代に心理ソサエティでう来た精神科医が特別に患者の治療時のテープを聞かせてくれたことを思い出す。トラウマのある患者を催眠状態で子供の頃に戻らせて話を聞いた所、親にお仕置きとして真っ暗な物置に閉じ込められた時のことを話し出して、その中で親に自分が大好きだった人形を食べるようにいわれたと、泣きじゃくっていた音声を思い返した。 個人の邪悪性が病気なのか、治療できるのか、悪と向き合う危険性等についても考えさせられる。ただ少なくとも法を犯した場合には、それを裁く社会的システムを個人については人類は構築してきた。 個人の悪が集団の悪になるメカニズムと、それを防ぐ有効な社会的システムをまだ人類は形成できていない。 本書では1968年の米軍によるベト