イノベーションを創出する大学モデルへの進化

中世に学生と教員のギルドとして生まれた大学という組織は、19世紀のドイツで確立された近代国家の研究を担うフンボルト型大学のモデルを経て、20世紀のアメリカでイノベーションを創出する大学という新たなモデルに進化した。

米国の高等教育の歴史をまとめた「A History of American Higher Education」を読むと、米国で起きた新しい大学のモデルへの進化の背景が良く理解できる。



アメリカの大学の起源は1636年のハーバード・カレッジの設立にあるが、合衆国独立前に設立された大学郡はコロニアル・カレッジと呼ばれ、それらは当初イギリスのオックスブリッジ型の大学を意識していたが、そこから脱却していく過程が描かれている。

アメリカの大学の最大の特徴は、それらが私立大学であるということにあった。それらの大学のガバナンスは、オックスブリッジのようなファカルティによるものではなく、ボード(Board of Trustees又はVisitors:理事会・評議会)とそれが選んだプレジデント(学長)により大学の経営がされることにあった。プレジデントの報告先はあくまでもボードでありファカルティではなかった。外部のボードがある点はスコットランドの大学のモデルに近い。

産業界で成功した者が寄付者となり、 インダストリーの人間がカレッジのボードに入る体制があったために、なぜカレッジはビジネスのように経営できないのか、という議論が自然に起こっていった。

高等教育のコーポレーション・モデルはスタンフォード大学で確立された。シリコンバレーの父と呼ばれるターマン教授は、同大学で企業等からの外部資金獲得を推し進め、また学生であったヒューレットやパッカードに起業を進めた。その結果がシリコンバレーの形成に繋がり、スタンフォード大学が事業をする大学のモデル(Model of Enterprising University)を確立したのである。

アメリカの大学の財務は授業料と寄付金を中心に賄われていたが、1985年からのイエール大学基金の運用拡大をモデルに基金の運用収益もイノベーション創出モデルを大きく後押しすることになった。

「なぜ大学はビジネスのように運営できないのか」というのが、アメリカの大学での20世紀を通じたテーマであった。アメリカの大学では大小を問わず殆どの大学のボードにビジネス界のリーダーとコーポレート・エクゼクティブが入っていた。これがアメリカで大学を経済のエンジンとして、知識を集約し、雇用をも創出する役割を果たすモデルへとの進化を推し進めた。このトラスティーによるボードのガバナンスが、1636年当初からのアメリカの大学の特徴的な要素だったのである。

法的に強固で外部ガバナンスが機能するボードに最終的な権限を与えて、ボードが大学経営の強力なトップであるプレジデントと密接に、ほぼ独占的に働く仕組ができた。その原動力となったのは、オックスフォード大学やケンブリッジ大学のようなファカルティガバナンスに対する不信感や嫌悪感であった。外部理事会と強力な学長への依存は、新世界のカレッジにしっかりとした経営がされる体制を促進するために設計された。実際、このモデルはすぐに効果を発揮し、永続的なものとなった。

アメリカには高等教育省が存在しないこともあり、中央集権的な政府の不在と管理されたマスタープランの回避は、アメリカの高等教育に多様性と個人主義的な精神をもたらし、アメリカの大学の競争、イノベーションと繁栄に役立ってきたと考えられる。

この20世紀にアメリカで起こったイノベーションを創出する大学というモデルへの進化は不可逆的なものであることは、中世からの大学の象徴でもあるオックスフォード大学ですら今やスタートアップとイノベーションに積極的であることからも明らかである。

19世紀のドイツのフンボルト型大学をモデルに設立された日本の国立大学は2004年の国立大学の法人化を機に産学連携というキーワードの下イノベーションへの取り組みを強めて来たが、同時に目先の事業化を意識しすぎた研究テーマへの誘導による日本の大学の国際的研究力の低下が懸念される。

アメリカでのイノベーションん型大学への進化が、私立大学によりもたらされたことは本質的な事であり、日本の国立大学の私立化の議論もあるが、これから日本の私立大学の活躍が日本の次世代の大学のモデルへの進化を牽引していくことを期待したい。