集団は非倫理化する


人はなぜ集団では非倫理的になるのか? (WIRED SCIENCE2014.06.18記事)より、集団になると脳から倫理が奪われるといるMITの研究。

なぜ人間は集団で行動すると、恐ろしい行為に走りやすいのだろうか。この疑問については数多くの説があるが、それらの説は大きく3つのカテゴリーに分けられる。第1は、「われわれ」の利益のために「彼ら」を犠牲にして行動するのは「合理的」だから、という説明。第2は、集団のなかに入ると、人間は匿名的な存在になり、個人の責任がごまかしやすいから、という説明。第3は、集団になると、個としての自己意識や、自分なりの道徳観念が薄れるから、という説明だ。

マサチューセッツ工科大学(MIT)、カリフォルニア大学バークレー校、カーネギーメロン大学のチームはこのほど、この第3の説についてもう少し詳しく見ることにした。その結果、われわれは集団になると、「倫理と関係する脳の領域」の活動が鈍るらしいことが明らかになった。

「個人は性善説、組織は性悪説」で考えていると言っていた人がいたがその通りかもしれない。人類は社会的生物となり、企業や国を含む組織、自由市場による競争原理を発明して進化してきた。

個人が集まって組織を構成した時に、組織はまるで各個人を細胞としてもつようなシステム生命体となり、それを構成する個人とは異なる独自の意志を持って動き、時には暴走する。組織の中の個人が思考を停止して歯車化した時に凡庸な悪を生じてしまう。

集団の暴走を制御する為の組織や企業のガバナンスと倫理は極めて面白く大事なテーマ。脳科学や心理学的要素もあるが、人間の集まりである組織を研究する社会科学も今後のイノベーションにとってより大事になっていくと思います。

ところで推論的ジレンマでは人間の集団である組織の目標は、構成する個々人の目標とはいずれも一致せずに異なるものとなる、とされました。するとシステム生命体としての組織という集団は、構成要素である個々人の意識とは別の「メタ意識」を持っているのでしょうか。


cf.

邪悪について、平気で嘘をつくということが悪の根源であり発現である

凡庸な悪